no.12 デザイナーインタビュー #206 北嵜剛司

デザイナーインタビュー #206 北嵜剛司(㈱スペースRデザインリノベーション事業部ディレクター)

今回の続・山王RのプロジェクトリーダーであるスペースRデザインの北嵜さんに山王マンションのあちこちに行き、これまでのリノベーションについてじっくり話を聞いてきました。

『リノベーションは「人と人」、「人と建物」、「人と時間」そして「人とまち」とをつなぐコミュニケーションツールだと思うし、楽しくおもしろく暮らすためにあるものだと思うんです』

Q:お仕事について教えてください。
A:仕事はですね、これまで主に築30年以上の賃貸マンションを中心に60室以上、もう70室ぐらいになったかもですが室内リノベとか、2棟の耐震改修や大規模改修をディレクションしました。自分で企画から設計、工事まで全部やったものもあれば、建築家さんとかアーティストさん、デザイナーさんと一緒につくらせていただいたお部屋もあります。

Q:具体的にどのような事を。
A:今の会社に入社したのが2007年で27歳の時です。で、デザイン系の大学を卒業して家具設計施工会社に3年勤めて、その後店舗設計施工会社に2年勤めて、で今の会社にお世話になることになりました。担当は工事管理、現場監督的な役割です。で、最初のお仕事が山王Rプロジェクトでした。

リノベーションという言葉は聞いたことあったんですが、賃貸マンションの事とかは全然わかってなくて。なんでリノベするのかもよくわかっていない状況で13室のプラン管理とか工程管理、コストとか発注とかの管理をやってました。工事的なことだけは前職までの経験で大体わかってましたが、賃貸ってなに?って感じで。訳分からん状態でしたね。で、その最中にたまたま一部屋空いて社長の吉原が「この部屋を募集できるようにして」ってなりました。けど原状回復するだけじゃもの足りなくて。じゃあ、同じぐらいの費用の中でリノベにしちゃろうかと。

で、初めて企画からデザイン、施工をやらせてもらったのが「オルタナティブルーム」です。わからんなりに賃貸のリノベーションって何だ、と考えて。考え付いたのがコンセプトをつくることでした。しっかりとしたコンセプトやテーマを持つことがリフォームとリノベーションの違いだし、差だと。で、作りながら考えながら思ったんですね。今までの職業は建設業界にいて、いまは不動産業界にいる、転職したんやなぁと。

で、そのあと新高砂マンションの大規模改修、建築家の信濃さんと組ませてもらって。外壁改修と給排水管の全面更新ですね。2008年。この時は建物を長く使い続けるために中長期の修繕計画とか収益計画とかを見直していく作業から始めて。かなり大変でした。この頃ガッツリ痩せましたね。会う人会う人「大丈夫ですか?やつれてます」みたいな感じで。今は完全に逆になっちゃってますがね。

で高砂女子R。山王Rの時に比べたら、自分のやるべき事、役割。賃貸のリノベをすることについて意味も理解出来ていたからすごくスムーズに仕事を進めることができていたように思いますね。投資的な。利回りとか回収期間だとか賃料設定だとか稼働率だとか。この頃あたりから自分の中で賃貸がスッと入ってくるようになったのは。

で、2009年。山王マンションで2室古いお部屋が空きました。で社長の吉原がまた「募集できるようにして」って。けど2室 同じような間取りで、状態も同じような感じで。なんか面白い企画考えようと。で生まれたのが「R100プロジェクト」。 そこにたどり着くまで結構いろいろ企画考えたりして。その頃山王Rとか高砂女子Rとか大型のプロジェクトが続いたから、テレビで言うところの深夜枠的な。ちょっと変わったことやっていこうってノリで。

Q:深夜番組的にですね!
A:で、R100プロジェクト。スタート時に考えてたコンセプトを少しずつ少しずつマイナーチェンジしていって。で今の形で落ち着いた感じです。「築100年を目指すリノベーションプロジェクト」に。で第1弾は100万円でリノベーションすることでもう一度リノベーションを考えようってテーマにしました。
スタートから約1年間、ほぼすべての過程をブログにつづるという、だらだらな感じで始めたんですが、今見返すと結構面白い内容やねーっと、僕だけかもしれま せんが思いますね。(笑)お金の話とかがリアルにストレートに書いてたりして。お時間ある方は是非はじめから最後までだら~と読んでほしいです。
http://r100p.space-r.net/part1/

このころからでしょうか、自分(のデザイン)をその部屋に押しこもうとはせずに、その建物、その部屋が持っているもの、魅力や歴史を引き出そうとする感じが芽生えてきたのは。100万円という金額制限を設けたことによって、その部屋と、そして賃貸リノベーションとしっかり向きあうことができましたし、視野が広がったような気がします。

で2011年の冷泉荘耐震改修工事。冷泉荘1階を耐震改修を含め街に開かれた建物を目指して大がかりにリノベーションしました。この時は平面図しか書かずに、後は現場で判断していく、即興的なスタイルでデザインと工事を進めていこうと考えました。もちろん、耐震診断とか耐震設計とかは構造設計の先生にお願いしたり、ブレースの図とかはしっかり書いてもらいましたが、構造的に問題ない意匠的な部分は平面図だけ。

工事は東急建設さんだったんですけど。東急建設さんとか職人さんに山王マンションとかに来てもらったり、冷泉荘のお部屋を見てもらって「雰囲気はこんな感じで!この辺のこういうがイイ感じなんです!」とか。図面で伝えるより雰囲気を伝えて、写真ではなくって実物をですね。イメージを共有することの方が図面よりはるかに伝わってて。年配の監督さんだったんですが「ファジーな感じですね」とまとめてくれました(笑)ファジー。

Q:ファジーって懐かしい言葉ですね。しかし、雰囲気と平面図だけだとやっぱりすれ違ったりしちゃうんじゃないですか?
A:そうですね。古いものの味わいとかその場所、建物の空気感とか雰囲気とか。その建物の積み重ねた過去を活かすためには、図面を中心に紙で指示するスタイルではなくって、その場で即興的に判断していく方がいいんじゃないかって思っていて。といいながらもやっぱり多少のすれ違いがあってイメージと違う部分もあったんです。
イメージ通り直してもらおうと思ったんですが、そのすれ違いの部分をあえて残すことにしました。その方がすごく生き生きと感じることができるんです。造り物(フェイク)ではなく本物(リアル)の証みたいな。本物って決して整ってないじゃないですか。そこに魅力があるんじゃないかと思うんです。ムラがあるからいいんじゃないでしょうか。
余談ですがこの前「フェイク(fake)」の意味調べてたら、「偽物」とか「模造品」という意味のほかに「ジャズで即興演奏すること」っていう意味もあるようです(笑)。考え深い。。。。

で、ここ2年位前から「リノっしょ」というプロジェクトをやっています。リノっしょとはそこに住んでいる入居者さんと僕たち管理会社が一緒に棚付けたり、壁に色を塗ったりするプロジェクトです。けどただ壁紙を好きなように選べますよとか、入居者さんが自分の好きな色に塗っていいですよっていうのとは少し違っていて。

僕らのようなお部屋をつくって提供する側では分からない、数年暮らすことで初めて分かるそのお部屋の魅力とか、欠点とか。その建物についてとか街についてとか。一緒に考えて、意見交換しながら体を動かして作業する。そうするとその部屋、建物への愛着が僕たちも住まう方も増して。さらに素敵に暮らすことができて。で、数年後そのお部屋を去る時がくるとき、原状回復のようにリセットするんじゃなくて、魅力あるお部屋のまま次に住まう方へとバトンを渡す。その繰り返しが建物や人を生き生きさせてくれる気がします。

リノベーションは『人と人』、『人と建物』、『人と時間』そして『人とまち』とをつなぐコミュニケーションツールだと思うし、楽しくおもしろく暮らすためにあるものだと思うんです。少なくとも僕にとってはそうなんですよね。

それと住まいって他と比べて遅れているというか進んでいない感じがあると思うんです。それは賃貸マンションの仕組みがそうさせているんじゃないかって。特に原状回復義務ってのが大きな要因だと思うんです。自由に壁に色塗れないし、棚も付けられない。だから「借りもの」なんです。だから愛着もわかない。そして退去したあと、また以前と同じように原状回復する。。
つまり、リセットするわけです。後戻りしてる。当然進まないですよね。時間は常に流れているわけで。どんどん遅れていく。悪循環ですよね。新築は「今」だから輝いているわけですけど。
常に進んでいく、進化していく。賃貸だからこそ出来る時間が経つにつれて魅力が増していく仕組みをつくらなくてはいけないんじゃないかって思っています。

Q:その流れで今回のお部屋になっていくわけですね。
A:はい。今回のお部屋。2008年にデザイニング展で「おとめぶた」という当時九州産業大学芸術学部の女子大学生ユニットがライブペイントしていて。まず、この絵をどう取り扱うかが最大の課題であり面白いところなのかなと。時間が経つにつれて魅力が増す賃貸の仕組みづくりにつながるヒントが生まれるかもしれません。

で、タイトルはですね「BATON」。

Interview:森岡陽介
Photo(※001※004):森岡陽介
Photo(※002.※003):山野雄樹
Photo(その他):北嵜剛司

プロフィール:北嵜剛司(㈱スペースRデザイン リノベーション事業部/ディレクター)
1980年福岡生まれ。2002年九州産業大学芸術学部卒業。家具デザイン、店舗デザイン施工会社を経て2007年吉原住宅(有)入社。2008年㈱スペースRデザインに移籍。2012年取締役就任。築30年超えの賃貸ビルを中心にこれまで60室以上の室内リノベーションや耐震改修、大規模改修のディレクションを行う。続・山王Rプロジェクトリーダー。

no.11 デザイナーインタビュー #305 信濃康博

デザイナーインタビュー #305 信濃康博(信濃設計研究所/建築家)

2004年から8年間。弊社と共にリノベーションに取り組んできた信濃さん。築34年の新高砂マンション、自らリノベーション設計した仕事場でお話を伺いました。

『リ・イマジネーション時代。収益システムの構築。リノベーションは仮面ライダーと似ているんですね。』

Q:お仕事について教えてください。
A:新築では住宅、え~一戸建て。集合住宅。え~職場空間としてのテナントビル、工場。で、住宅の中では、いわゆる企画で面白いところでコーポラティブ方式。うん。お客さん希望の住宅とは別にコーポラティブ方式で住宅をつくるという事。新築ですね。リノベーションで言えば、吉原住宅さんのお部屋をやってきました。ビルの大規模改修もですかね。 建築家として研究、考えをまとめる、述べていくためにブログなどで情報発信してますね。

Q:具体的にどのような研究を?
A:時代の変化とリノベーションがいろいろ関係あることが分かってきて。大前提となる時代の変化。大転換期ですね。それが社会全体のいろんなところで見られると。その中の一現象がリノベーションであると。そのあたりを研究しているわけですね。まあ、近代になって近代の目標が満たされてきて。で、人の考え方が変わってきたんでリノベーションが成り立つようになってきたわけですね。仮面ライダーと似てるんですね。 つまり、「リ・イマジネーション(再創造)」の世界ですね。

<プリントアウト中。30秒程度の沈黙>

Q:信濃さんの価値感も大転換していますか?
A:ええ、私の価値感も変化していってますね。どこの分野もリノベーションしてるわけですよね。イノベーションですね。大方向転換。

<シャツシャっ プリントアウトする音 20秒くらい>

仮面ライダーディケイド。結局ですね、仮面ライダーができたのは1971年位なので築45年ぐらいの建物と大体同じなんですよ。で、30年経って平成ライダーってのが始まるんですね。で結局ですね、2000年位までは完全に敵がはっきりしてて味方がやっつける。その繰り返しでよかったわけですよ。コンセプトは同じで。敵と味方がちょっと変わるだけで。で、飽きてくるわけですよ。衰退してくるわけですよね。
その頃は、建物で言い替えるとリフォーム時代。年数がたってくると人気が落ちてきて、多少表現をリフォームするんですけど相対的には落ちて行って衰退していくと。2000年になると平成ライダー時代、え~建物ではちょうど30年経って大規模改修時代に入ってきて。リノベーション時代。建物でいうとリノベーション時代ですけど、世の中でいうと「リ・イマジネーション」時代。結局。収益システムの構築。常に価値を更新していく。前提となる敵がどうとか味方とか。設定を変えているわけですね。あの~毎回毎回。そういう風にしとかないと飽きちゃう。で~、敵がいいのか、味方が悪いのか。善悪の部分もあいまいになってきてて。白黒つけられない感じ。
以外とその辺がそれぞれリンクしてるんですね~。

うん、新しい価値、新しい仮面ライダーを再設定してコンセプトも変えて前提も変えちゃって。毎年違う話にしている。でグッズを売って、ライダー関連グッズでもうけて。他のとこ入ってきてないんですよね。自分達の中で収益システムをつくってしまったわけです。という話ですね。
でまた今度2030年ぐらい。次の時代変化があるだろうって事ですね。今のやり方がさあどれくらい続けることができるでしょうってところですかね~。

<プリントアウト中。30秒程度の沈黙>

これがある程度全体がわかる図。これで大体リノベーションの特質が分かってきたわけでね。まあ、軸を3本設定して。モダンデザインが以前は上位にいたんですけど、リノベーション世代になるのと同じような感じなんですね、これまでの山王マンションのお部屋を見比べればわかるんですけど。まあ素人、学生、全く別のジャンルの人がデザインしても、住まい手にはそんなの関係なくて同じようなレベル、というか単なる選択肢の一つでしかないわけですね。縦軸。プロ/アマ。職人技/DIY。昔はプロ/職人技がいいって言われていたわけですよ。けどこっち(アマ/DIY)がいいって人も出てきたわけですよ。そんな感じになってきて。(苦笑)恐ろしいですよ。でね、この部屋もさほどザックリな仕上がりな訳ですよ。それがまた雰囲気にあってるような感じで。だから簡単に上下は付けられないような感じで。で社会的に分かりやすい標準的なお部屋とか、反対にすごくアーティスティックでコンセプチャルなお部屋とかあってこの表で今まで作ってきたお部屋が分類できるんじゃないかと。で最近この辺(左上あたり)が広がってきたと。ようやく住まいもファッション化してきた、いわゆる一般文化のところまできたと。そういうことですね。住まいは遅かったですね。そういう大きな変化が見受けられると。

Q:これまでリノベーションしてきたお部屋について教えてください。

A:で~、これまで私がやってきたリノベ。山王マンションでいえばですね、最初は2004年。ここでは、あ~。402号室603号室。リノベーションというイメージを植え付けるために全く違った文脈と言いますかね、新しさを際立たせたデザインにして。実際見た人も驚くような。イメージの転換ですね。ここは。これも平成ライダーが出た時はみんな驚いたと。同じですね。昔のファンの人たちを怒っちゃったり。だから新しくするにはそうしないといけないわけですね。でそこでイメージ付けして。でその後僕の場合は新高砂マンション。

2005年。206号室、ここですね。(現在事務所として借りている)ここは「がらんどう作戦」。予算の関係もあり。で~「ゼロLDK」ってコンセプトで。がらんどうにしてその後は全部お客さんにやってもらおうと。自由にできる余白をつくったんですね。で自由に間取りは組んで下さいと。
その辺はリノベーションのマイナスのデザインですかね。基本的には部屋づくりができる人、意識の高い人に入ってきてほしいので、え~与えるだけじゃなくて自分でレイアウトしたい人も出てきているだろうと。だから引くわけではないんですね。引くわけではなく。無いことで価値が足されるという。その、なんでもかんでも付けくわえることが戦後日本の文化じゃないですか。でなくてなにもない方が豊かなくらしができるというあり方ですね。うん。

そして、山王R。2007年。このあたりから価値のフラット化が分かってきたわけですよ。山王Rはリノベーションにいろんなバリエーションがあることを出せたのが良かったんじゃないでしょうか。設計とかインテリアとか仕事としていない人がやったってことが大きかったですね。高砂女子Rとかもそうです。だからプロがやらなくていいんだよっと。プロがいてアマチュアがいてって構造が崩れ去って。バあっとべちゃっとなって。でそのあと広がって。で誰がデザインしようと関係無くなってね。お客さんも多様化してきてね。それぞれのお客さんが作る、そんな感じですよね。見てたら。別にプロがやった部屋じゃなくちゃだめだって人も減ってきたし。

A:建築家、プロとして信濃さんはどうしてくのですか?
Q:プロだからどうこうでは無くなってきたってわけですよ。(苦笑)リノベは誰でもできちゃう。服を着替えるように部屋を選ぶ時代ですから。服を選ぶ感覚と同じですからね。うん。で、住まいにこだわりもってる人、増えてきましたよね。ちょっと違う部屋に住んで見たいと。

Q:家の中にいる時間が以前と比較してだいぶ増えてきたんじゃないですかね。ネット社会がそうさせているのかもですね。
A:ネット社会、もう全体に広がってきてますね。影響を及ぼしてますよね。音楽関係は全く変わったし。新聞雑誌、マスコミ関係。教育関係もかわってますよね。

Q:情報の量とはまた別のところにあるような。
A:情報量。確かにありますね。あふれちゃて全然知らない人もいますからね。人一人の中で受け入れた情報が増えたかというとそういうわけではなくて。ある程度許容量があるからですね。うん。

<プリントアウト中。30秒程度の沈黙>

Q:これは。

A:住居、職場、サードプレイス。生活、仕事、脆弱な契約。昔はある程度一体化していたんですね。会社、家族。核家族とサラリーマンが一体化して社会を形成していたわけですね。この辺がばらばらになってきたわけですね。で、生活を大切にする、家族は大切にする、仕事は仕事と割り切る。個人的にこういうのができてくると、仕事とは違う自分名刺①、名刺②。自宅、職場、ロジ研みたいな。ふふふ。

Q:仕事以外での自分の居場所を信濃さんも求めているんですね。
A:うん、あるみたいですね。けっこう。無い人もいますけど。けど発散する場がないとつらいですよね。なんかね。でここ(家庭)もばらばらになってきましたからね。安定ではなくなってきたと。不安定。だからサードプレイス的なものがあれば全体的に安定するんじゃないかと。はたしてそうなるのかみたいな。
でこの3つの要素(生活・仕事・サードプレイス)のどれを重視するかってのはバラけてきた感じですよね。例えばお金を稼ぐための仕事として割り切って。趣味にお金かけて楽しむ見たいな。
でこの辺(住居のサードプレイス化)がリノベーション、空間と結びついてきてるんじゃないかみたいな。てことがだんだんわかってきた。

山王Rでそれほど価値ある、価値ないってのが個人の裁量にかかってくる、こう全部並べて順番付けられなくなってて。あの13部屋でどれが1番でどれがビリかって。でそんなの出してもなんの意味もなくなった感じですね。うん、全く。それが多少人気の差があったとしてもそれが何だっていう。

Q:そんな感覚ってここ10年ぐらいで大きく変わってますよね
A:その辺が面白い。

Q:で今回の続・山王Rのお部屋は

A:この図ですね。え~1968年の空間に2012年の空間が入り込む。まあここで1968年と2012年の時間と空間の旅。ここで40年。時間と空間を瞬間移動。そんな部屋を目指しています。

Q:今回のリノベーションは今までと全然違いますけど。なぜですか?
A:それは表現の話にもなりますけど。そうですね。今時代の変換期をどう分かってもらえるか。うん。まぁ、完全スケルトン、全部新しくするのもいいんですけどね。建物全体を考えて時間の流れを考えてもらいたい。それが新築にはないリノベーションの特徴なんですね。時間軸。その時間軸が建物に残ってるから感じられるわけですよ。それを感じてもらって。それを踏まえて未来のことも考えなくては。それを考えると長い歴史の中である一定の時間をうけもっているという感じですかね。うん、建ったときに関わった人って今いないじゃないですか。で使い終わるときに今関わっている人がいるかどうかわからないわけですよね。過去の建物の歴史をしりまた次の世代に引き継ぐようなその辺を感じてほしいですね。感じてもらい事で文化的に豊かになるのではないですかね。

Interview&Photo(信濃氏事務所内):北嵜剛司
Photo(リノベーション):松本和生

プロフィール:信濃康博(信濃設計研究所/建築家)
1965年生まれ「新人類世代」。日本の大衆文化にどっぷり浸かり大学で建築を学び始める。重力・構造・曲線・曲面・多面体・トポロジー・4D等かたちの特性について傾倒。ポップカルチャーの中で建築を考える。福岡と埼玉で活動中。

no.8 デザイナーインタビュー #401 瀬下黄太

デザイナーインタビュー #401 瀬下黄太(AMP GALLERY & CAFE・アトリエてらた/プロの遊び人)

山王Rプロジェクト(2007)で「ヴぁ~~~」て感じの衝撃的なお部屋をリノベしていただいた瀬下黄太さん。芸術家であるお父様のアトリエを自らリノベーションした「アトリエてらた」で波乱万丈な人生を語って頂きました。

『今振り返ると全部リノベしてきてるんですよ。突貫的な感じで。自分達でね。』

Q:学生時代はデザインの勉強をされてきたのですか?
A:はい。高校と専門学校ではグラフィックデザインの勉強をしていました。専門学校ではほとんど勉強せずにふらふらして遊んでました(笑)

Q:その後はどのようなお仕事をされてきたんですか?
A:1985年位ですかね。20歳のときに友達からレコード屋をやらないかという話があって。パンクやニューウェーブ専門の輸入レコード屋の店長を。6年間。東京に本社がある「UK EDISON」というお店で。高校生からバンドやっていて。もともとそのお店にレコードを買いに行くくらいのファンでね。福岡店が出来るってことでその話聞いて飛び付いたんですね!そこでいろんなミュージシャンが来てて。で、そこに出入りする「デイト・オブ・バース」というバンドがありまして。北嵜くん若いから知らないと思うんだけど!でもたぶん音は聞いたことがあるんじゃないかなぁ!

その「デイト・オブ・バース」はバンドなんですけど、録音スタジオ運営とかCM制作とかやる会社を作っていて。そこにレコード屋をやめて働きにいきました。そのバンドがキティレコード(現ユニバーサル)でメジャーデビューしていて。小泉今日子が出てたドラマで「あなただけ見えない」っていうサスペンスドラマがあるんですけど。その主題歌でヒットしまして。夜パレとか出ちゃったりしてね。で売れたから、ライブやらなきゃいけねいって展開になって。スタッフしながらサポート、ギターとコーラスで全国廻ってましたね。3.4年位かな。

自分のバンドもやっていて。キティレコードだったからしょっちゅう東京いってて。そのキティレコードからCD出さないかって。で上京するんです。1995年位かな。一人で。で、ポシャるんです(苦笑)。バンドがね。で、他のバンドをしながら、働いてて。売れないバンドマンみたいな。パンの耳食いながら、風呂なしのアパートで。でも楽しくやってたんですね。
そしたら、キティレコードで「デイト・オブ・バース」の担当ディレクターがイーストウエストジャパン洋楽部(現ワーナーミュージック)に移籍して。プラプラしてた僕を引っ張ってくれましてね(笑)。そこで制作を何年かやらせてもらって。

イーストウエストジャパン洋楽部にいる頃の話なんですがね。また話がさかのぼるんですが、キティレコードのディレクターで森川さんが独立して始めた「オフィスオーガスタ」という音楽事務所があって。そこは「山崎まさよし」とか「スガシカオ」とか「スキマスイッチ」とか「元ちとせ」とかが所属してる事務所なんですが。社長がビートルズファンで。僕もビートルズおたくでね。しょっちゅうその話で事務所に遊びにいってて。それでまだデビューしたばかりの山崎まさよしくんと服のサイズが同じで。僕服が好きで、社長も好きでね。で山崎くんに服かしてたりしてた。(笑)僕もまだ痩せてたしね(笑)。スタイリストとかもいないからね。だから初期の山崎くんの衣装はだいぶ僕のなんですよ(笑)。

そうこうやっているうちに会社を辞めましてね。でオーガスタの森川さんに「やめちゃいましたっ」て話したら。じゃあ、あまってる服とかたくさんあるし古着屋やろうって軽い感じで始めることになって。じゃあ、お前洋服部門の担当だってことになって。でもう一人を本職のオリジナルの服をつくる相方と二人ではじめて。東京の中目黒に「ライディングハイ」っていう古着とオリジナルブランドを出す小さなお店をつくったんです。2000年くらいかな。

拾われた人生なんですよ。綱渡り的な感じでずっと(笑)。
で洋服屋やってて。向いてなかったのかな。すごく忙しかったし。音楽もその頃全然出来てなくて。で、辞めましてね。福岡の実家に帰ってきました。ですぐ帰るつもりが居心地よくてね(笑)ご飯美味しいし。東京のスピード凄くて。そのまま福岡でやってこうて事になりまして。で離婚もしましてね(苦笑)。いろいろとありまして。

で、福岡に帰ってきまして。ふらふらしてましてね。でまた戻るんです。デイト・オブ・バースに(笑)。その中の一人のメンバーが違う仕事やってて。3Dソフトの販売元とか携帯を使ったインスタレ-ションとかの企画とかやってまして。愛知万博で携帯を使ったインスタレ-ションをやったんです。毎日。その携帯データの管理の仕事しないかって。でやってるうちに事務所探ししなくちゃって。で大濠あたりの戸建てをリノベーションして作ったんです。1階がギャラリーで2階が事務所にして。
で1階の「マーズギャラリー」っていうギャラリーの担当をしました。兄の寺田太郎の個展や父の寺田健一郎の個展とかいろいろやってました。

しばらくして。2007年になりまして。その頃工房を兄(寺田太郎氏)がさがしていて。それまでは三瀬でやってたんですが手狭になりまして。で吉野ヶ里にでかい倉庫を見つけまして。そこが今のAMPですね。そこで倉庫をリノベーションしてギャラリーとかカフェ作って。でその年の冬に「山王Rプロジェクト」ですよ。 だからこの年2007年はずっと造りっぱなしで。

今振り返ると全部リノベしてきてるんですよ。突貫的な感じで。自分達でね。
レコード屋の「UKEDISON」は元々バーでそこをレコード屋に。古着屋の「ライディングハイ」は小料理屋でしたね。ここは解体工事から始めました。そこはプロの内装チームと組んでやりました。
で、マーズギャラリーの時もデザインチームつくってみんなで造りましたね~。壁とか床とか全部モザイクタイル貼ったり。外部に木格子造ったりね。 でAMPギャラリーは元々倉庫で。幽霊屋敷って言われてたところを掃除から初めて。掃除で3カ月位かかってね。でかいから。屋根も割れてて雨漏りしてて貼ったりとか。 で山王Rです。

Q:5年前にデザインした山王Rプロジェクトのお部屋について教えてください。

A:山王Rプロジェクトでは初めて住まいをつくったんですけど、兄の寺田太郎の作品を活かすみたいな考えで。あとヒントになったのはここ(現アトリエてらた)に吉原さんが来てね。太郎に「アトリエの雰囲気いいなぁ」って言ったらしくて。それをヒントにして太郎の作品を手摺りとか取手とかに配置して、アトリエの床に落ちた絵具をデフォルメして床に何色か色付けしたんです。
それとピンクフロイドにいるシド・パレットのファーストソロアルバムのジャケットの床に憧れてて。アトリエの床とジャケットのアイディアを合体させて出来たのがあの床ですね。太郎の作品を活かすことを大前提に、床やその周辺をデザインしたんです。照明もオリジナルで造ったり。試験管のやつね。
兄の太郎と、僕と。内装のプロの峰とアーティストの藤瀬、4人のチームでやりましたね。で4人で話してたのがアート関係の集団がやるんだから扉を開けた瞬間「ヴぁ~~~」って反応、それぐらいのインパクトあるものつくりたいよねって。で見学会したときにね、開けた瞬間「ヴぁ~~~」てみんななってさぁ(笑)。その時はうれしかったね~!!面白かったですよ(笑)床とかすごいじゃないですかぁ!だからあの見学会はすごい楽しかったですよ。

(北嵜)確かにオーラが半端なかったですよね。他のお部屋はプロの職人さんに図面や打合せでオーダーして全部作ってもらったのと比較して、瀬下さん達は設備的な部分以外は全部アーティスト的な感覚で、さらに自ら手を動かし作られていたので。その手触り感というか雰囲気というか、半端ないオーラでしたよね。凄かったです!!

その後、いろいろと内装デザインのお話頂いてて。2008年に鹿児島のビル一棟を全部装飾してくれとかクラブの装飾とかいろいろあったんです。けど兄の太郎が死んじゃってね。出来なくなっちゃって。
*瀬下さんの兄、造形作家の寺田太郎さんは山王Rプロジェクト完成後の2007年12月、不慮の事故により他界されました。

Q:今回のリノベーションについて少しだけお話頂けますか?
A:はい。1年前にここをしましてね。「アトリエてらた」ここの経験を活かしてやろうかと。で、前回とは違って今回は「ヴぁ~~~」ではなく「あっ!!!」みたいな。さりげなく驚かすみたいなね。で今回は先にベース作ってもらってるから。出来たものに細かなテクスチャーとか表情とかを付けていく作業をこれからやっていきますね。やりながら考えていく感じで。

Interview&Photo(アトリエてらた):北嵜剛司
Photo(山王R):松本和生

プロフィール:瀬下黄太
吉野ヶ里「AMP GALLERY & CAFE」、福岡「アトリエてらた」の代表
博多のラトルズ?THE GOGGLESのギター担当
巷で噂の1968年型サイケデリックバンドのStrawberry Chocolate ‘s Surf Club BandのVO & Gも担当
基本PUNK(精神的に)PUNKレコード屋〜音楽事務所〜レコード会社〜洋服屋等職歴沢山

no.7 デザイナーインタビュー #309 中村綾子

デザイナーインタビュー #309 中村綾子(A’s glass studio/ステンドグラス作家)

続・山王Rで唯一の女性デザイナー、ステンドグラス作家A’s glass studio中村綾子さん。ステンドグラス作家になったきっかけから作品へのこだわり。前回の高砂女子Rプロジェクトのリノベーションについてお話を伺いました。

『空間にあう、生活の中に溶け込むような。そんなステンドグラスを造りたいと思っています。』

Q:主なお仕事について教えてください。
A:ステンドグラス作家です。住宅や店舗の窓に取り付けるステンドグラスパネルや、照明、インテリア小物などを製作しています。あと週3回ステンドグラス教室を行っています。

Q:ステンドグラス作家になったきっかけを教えてください。
A:ステンドグラスを創るようになったきっかけは職人になりたかったからです(笑) 元々4年間OLをしていて一生出来る、手に職をつけたかったんですね。もともとガラス素材が好きで。ご縁があってステンドグラスの先生さんに出会い、その方のもとで3年半修行しました。その後人生の休暇につもりで(笑)ワーキングホリデーを利用してカナダへ行きました。
この3年半ずっとステンド漬だったからだと思うんですが、離れちゃうとなんだかうずうずしちゃって。造りたいなーって思って。それでステンドグラス工房巡りを始めました。巡っていくうちに素敵な工房と出会い、働きたいとお願いしましてなんとか滑り込むように。そこで1年半働いて福岡へ帰ってきて独立しました。今年で独立して6年目です。

Q:ステンドグラスへのこだわり、大事にしていることは?
A:ステンドグラスのイメージって教会とか昔ながらのすごいコテコテしているイメージが強くって。それって今の時代にそのイメージって合わないから。空間にあう、生活の中に溶け込むような。そんなステンドグラスを造りたいと思っています。 ここは(自宅兼アトリエ)普通の賃貸マンションなのでできる範囲内でステンドグラスを取り入れています。

それとステンドグラス教室をしています。ステンドグラスって敷居が高いイメージがあってマダムの趣味みたいな(笑)。けどもっと気軽にステンドグラスを楽しんで頂けるように、そのお手伝いをしています。
それと、ステンドグラスって伝統工芸で教えてくれる場所や人があまりいなくて。なので若い方々にステンドグラスの良さを伝えていきたいというのも教室をする理由です。

Q:教室ではどんなことをされているのですか?

A:ステンドグラスを造るためだけの場ではなくって、ここに来ることでモノを創る楽しみを知るきっかけになるようになるような, ステンドグラスを通じてモノづくりの楽しみを知ってもらえたらいいなって思っています。
教室では真剣にステンドグラスに向き合っている方は向き合うお手伝いをするし、手を動かすよりたくさん話をしたい生徒さんとはたくさんお話するし。人によって目的がそれぞれなので接し方は自然と変わりますよね!!だからめっちゃゆるいって言われるんですよ(笑)。
宿題があるわけでもないし。やりたいようにどうぞみたいな。

Q:4年前にデザインした高砂女子Rのお部屋について教えてください

A:初めてのことだったのであのときはただおしゃれな空間、ステンドグラスを表現する場として考えてました。 でも今回は数年たって考え方が変わってきて。入居者さん、20代~30代前半くらいの女性をイメージして。住むってことを重視して考えていますね。ステンドグラスを生活に取り入れようと思うと高価なので20代くらいの方では取り入れにくいんですよね。 だから若い方が生活の中でステンドグラスを楽しんでもらえるようなお部屋づくりを意識してますね。
私が一番ステンドグラスを創ってて楽しいものって、窓パネルで。ステンドグラスとして一番贅沢な使い方だと思うんです。朝日やお昼のひかり、夕方のひかり。当たり具合で表情が変わるしすごく素敵なんです。なので今回のお部屋にもキッチンのそばにある窓ガラスにステンドグラスを入れることにしました。
前回は自分がやりたいことを作品的なお部屋だったんですが、今回は住まい手側に立ってステンドグラスをいかに生活の中に取り入れるかみたいなことを考えま したね!

Interview&Photo(アトリエ内):北嵜剛司
Photo(高砂女子R):松本和生
Photo(カナダ):中村綾子

プロフィール:中村綾子(A’s glass studio) 
2001年よりWAVE-Gグラス工房、後藤由美子氏に師事
2005年 初の個展「Message」開催
2006年 カナダトロント市留学、Jane Irwin, Kathryn Irwinのアシスタントを務める
2007年7月 福岡市中央区大名にA’s glass studioを設立
2011年12月 福岡市中央区桜坂に移転
http://www.asglass.net/

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